日本人大学生がベトナムのIT企業で働く日々。

日本人大学生がベトナムのIT企業で働く日々。

奈良県出身、純日本人の大学生がベトナムのIT企業で働く日々を綴ります。基本的に平日は短文、暇な休日は長文。毎日更新!!

日本人大学生がベトナムで働く日々。

11月25日 ベトナムに来て変わりつつある自分の思考をまとめてみた。死、人間、言語とか。

:今日はベトナムの日々のことは書かないで、自分の思ってることをつらつらと書き置きます。あとで見返したときにこんなこと考えてたんだなと思いたいので。

だから、ベトナムの日々の話を期待してる人は無視しちゃってください!

今日に関してはひたすら読書とか勉強してたので特別書くことはありません。笑

死ぬことは別に怖くなかった

まずは僕の死生観から。

人は死んだらどうなると思いますか?どこに行くんでしょう?思考はなくなるのでしょうか?心が無になるのでしょうか?

これは人類が永遠に悩み続けてることだと思います。そして、人によっていろんな想像をしてることでしょう。

死は哲学にとっても、宗教にとっても永遠のテーマでした。

そこに対して僕の考えはというと。どうでもいいでした。

だって、そんなんいくら考えたってわかんないじゃないですか。死んだ後のことなんて死んでみないとわからないし、逆に死なない限りは誰にも知りようがないんです。

アインシュタインでもガリレオでも、アリストテレスでさえわからなかったことです。それを僕がいくら考えたところでわかるはずがないことです。

だから、どうでもいいんです。死んだ後の世界なんて。考えるだけ時間の無駄でしょ。遅かれ早かれ、死んだらどうせわかるんだから。

昔は、その死んだ後の世界に興味がありすぎて、死んでみたいと思ったこともありました。まあ、死にたくないから死なないけど。

この、死にたくないというのが、また不思議な感覚ですよね。なんで、人はそんなに生にしがみつくのでしょう。

今生きている世界よりも、死んだ後の世界の方がよっぽど楽しいかもしれないのに。

まあ、どうなるかわからないから死にたくないんでしょうね。わからないから恐怖を感じるんでしょう。今の生活より楽しい保証なんてないからね。

死にたくないとは言ったけど、僕は別に死ぬのが怖くなかったです。別に死ねばそれまで。自分はそこまでの人間だったってことでしょ、くらいに思ってました。

むしろ、死んでしまえば、新しい世界にいけるわけですもん。そこは興味があるところだし。

そして、今の時代のこの生きていることが素晴らしい。とにかくみんな生きて。いくら辛くても生きて。という風潮はすごく気持ち悪いです。なんで、そんなに生きることを進めるの?生きることが最高なんて誰が決めたの?

だから、別に自殺したければすればいいと思う。それはその人の自由だと思うし。

多分自殺する人は、今生きている世界より死後の世界が素晴らしいと思ったから死んだんだよ。今生きている世界の方が、その死後という未知の世界よりも良いと思っているうちは生きている。ただ、それだけだと思う。

そもそも、人間が死を恐れて死ぬことを避け、生きることを望むのはそんな思考とかで考えられる問題ではないけどね。多分、遺伝子的に刻まれている。人間という種が繁栄していくためには、子孫を残す前に死んじゃうとだめだからね。つまり、人間は人類を繁栄させるために死を恐れて、死を避けてるんじゃないかな?

だって、死を恐ることができるだけの脳を持っていない生き物たちも、死を避けるように行動するからね。それと一緒。たまに遺伝子ミスで死を恐れない変なやつが生まれるだけ。

僕は死にたくはない。でも、これは死が怖いからじゃなくて、今生きてる世界が最高に楽しいから。わざわざ、この楽しくて仕方ない世界から未知の二度と戻れない死後の世界に行こうとは思わない。戻れるんなら行ってみたいけどね。

でも、もしもこの世界が最悪になったら別に死んだって構わない。だから、自殺してる人を止めようとも思わない。人生生きてたら楽しいことあるよ、なんて無責任なこと言えない。僕は人生が最高に楽しいけど、その人の人生が楽しいかどうかなんて知ったこっちゃないから。

とまあ、ここまでがベトナムに来るまでの死に対する考え方。

でも、ベトナムに来て最近心から死にたくないと思うようになりました。もしも、この世界が最悪になって、本当に辛くて辛くてたまらなくなっても死にたくない。なんとしても生きてやる。そう思うようになった。

愛する人に会えなくなるのがすごく怖くなったからです。

今まで、家族や周りにいる大切な人に会えるのなんて当然だし、なんとも思っていなかったんですね。でも、ベトナムに来て、日本にいるみんなには会えない。そこで、もしこのまま死んじゃったらもう二度と会えないってことだよなって思ったんです。

二度と会えない。話せない。一緒に笑えない。もし、自分が死んだらそうなってしまううんだよな。いくら死後の世界が楽しくても、愛する人たちに会えないなんて耐えられない。

今、こうやって想像するだけでもすごく怖い。悲しい。

僕は人生で初めて、死という恐怖に直面したのかもしれないです。

この、死という恐怖、悲しみを抱えながら生きるのが人間という生き物なんですね。普通に生活していたらこんなこと忘れてしまいそうになるけど、忘れちゃいけないですね。

生きよう。今日も明日も、これからも、愛と恐怖を抱えて力強く、生きよう!!

人間よ花であれ

風姿花伝』を知っていますか?

能の大成者、世阿弥が書いたものですね。その、風姿花伝は素晴らしいです。一般的には能の理論書とされていますが、この本には彼の人生観が詰まっています。僕はまだ全部読んでませんが、それでもこの本が素晴らしいことはひしひしを感じます。

そこで、世阿弥は人を花に例えます。これがなんとも素晴らしい。

美しくも儚い花なのです。

この人は花という思想を知り、自分の思想の一部とした時、僕の中でずっと思っていた漠然としていなかった部分が、ストンと腑に落ちました。

僕は、不老不死というものに魅力を感じませんでした。某漫画で、「不老不死は素晴らしい、誰もが求めるものだ、人は皆不老不死でありたいと思っているだろう。」というような考えを読んでいた時、すごく妙な気分になりました。いや、違うだろうと。

不老不死なんて全く嬉しくない。先ほどの話にも繋がりますが、人は死にたくないと思っている生き物です。実際に、僕も死にたくない。死んでも死にたくない。

でも、死んで良いのです。人は死ぬからこそ良いのです。

人が死なない世の中なんてつまらないでしょう。少なくとも、僕は一生生きていたくはない。

そう、人は花なのだから

一生咲き続ける花はありません。花はいずれ散ります。しかし、花は散るからこそ美しいのです。散ってこそ花なのです。

人も散るからこそ美しい。

人の人生はそれぞれ自分の花を精一杯咲かせて、散っていくものなのです。どんな人も必ず自分の花を咲かせています。咲かせていない人間などこの世にいません。

そして、儚くも散っていく。だから人という花は美しい。

全ての人よ美しい花であれ!

僕と英語

僕は、英語が別にそんなに話せる訳じゃありません。今でも、日常生活でコミュニケーションを取れるくらいです。仕事で使えるもんじゃありません。

そもそも、中学のはじめの頃は英語が苦手でした。スタートダッシュでさぼってしまったから、あんまりわからなくなったんですね。いつも英語が一番悪い点数でした。

それでも、高校受験の時にはしっかり勉強したので人並みにはできるようになりました。それでも、得意といえるレベルでは全然なかったです。

高校に入ってからは、なんでかわかんないけど、他の科目はともかく英語だけはちゃんと予習して授業も真面目に受けてました。そのおかげか、英語はいつの間にか得意な科目になっていました。

ゆっても、高校の間は野球漬けの日々だったのであまり勉強には集中できなかったので、自分の中で得意な方というだけであって、周りの人に比べたらたいしたことはなかったです。

それでも、地力をつけていたおかげで、部活を引退して大学受験の勉強を始めるとたちまち英語が周りに勝てる得意教科になりました。

その頃には、僕は英語に対する自信を強く持っていました。英語やったら負けへんな、自分の武器にしていける、そう思っていました。

実際に、高校では学年でトップ争いしてる感じだったのでそう思っても仕方なかったですね。

でも、大学へ入学してそんな思いも崩れ去りました。井の中の蛙大海を知らず、です。

大学へ入れば、自分より英語できるやつが山ほどいたんですね。ペラペラ話す人もいます。英語の選抜クラスにも選ばれませんでした。

そこで、あ〜自分は英語を武器にするべき人間じゃないなと感じました。

英語で戦っても勝てる相手は限られてると確信しました。そして、そもそも英語がいくら話せても優秀じゃなくてしょぼいやつがいっぱいいたのを目の当たりにしたのも、理由ではあります。それまでは、英語が話せる=かっこいい・優秀みたいなイメージだったんですけど、違うなと思いました。英語だけできたところでどうしようもないと気づきました。

英語はただのツール。英語なんてできてもできなくてもどっちでもいいんです。

それよりも、もっと他に鍛えるべき、強くするべき部分があると思いました。大学生活でしか、磨けない英語以外の部分を磨こう。そう決意したのです。

それから、月日が経ち大学三年の春。

一年間大学を休んで、海外で働こうと決心しました。

しかし、そのとき必要になったのがTOEICです。もちろん、TOEICができなくても海外で働くことはできますが、それは大した仕事ではなかったり(バイトみたいな雑用)、日系企業だけです。僕は、完全な海外の企業で、雑用じゃなくてちゃんとした仕事をしたかったので、TOEICは必ず必要だったのです。

必要なTOEICのスコアは720以上。

やばい。大学を入学してから英語をさぼっていた僕は、一度練習でやってみると500点程度でした。ここで、英語を勉強してこなかったことを少し後悔します。

でも、一年間休んで海外で働きたい。この気持ちがすごく強かったので、僕は本気でTOEICを勉強することにしました。

ちなみに、秋から休学して海外へ行くためには7月初めの受験で720点以上を取る必要がありました。しかしこの時点で、6月はじめ頃でした。もう1ヶ月しかない。

まあ、諦めたら試合終了さ。本気出せばいけるやろ、という思いで、必死に勉強しました。本当に大学受験以来くらいのガチ度でした。授業もサボってTOEICの勉強をしたりしました。毎日模試をして、移動時間など暇があればリスニングの英語を聞いて、半月前からは、バイトも完全に休んでひたすら勉強しました。

本当に死ぬほど頑張りました。

まあ、そのおかげもあって、なんとか目標点以上をとることができました。いや〜このときは本当に死ぬほど嬉しかったですね。

大学受験に合格した時以来の最高の嬉しさでした。これで、海外で一年間働けるって!

(まあ、実際にはスコアだけじゃなくて、その後も数々の履歴書や面接、テストを乗り越える必要はあったんですけどね笑)

そんな感じで、僕の英語力は一度どん底まで落ちてTOEICの勉強で少し持ち直して、海外で過ごしている中で英語を使う機会は増えて、少しずつ英語力を磨いているところです。

そして、昨日久々に洋楽を聞いたんですけど、前まではリズムとか雰囲気が好きで聞いてたんですけど、なんと何言ってるか聞き取れるようになってたんです。もちろん全部はっきりとはわからないけど、なんとなく何言ってるのかわかるし、言いたいこともわかるようになってたんです。

いやあ、この時は感動しました。

自分の世界が一気に広がった感じ。洋楽めっちゃ良い!!すげえ!!って思いました。

そして、英語ができるようになることで得られる嬉しさ、楽しさも感じました。

なんか、英語を武器とするために、とか便利なツールとして使いこなすために、とかじゃなくて、純粋にもっと英語を話せるようになりたいと思いました。多分、英語に対してこの感情は初めて。

そう考えると、語学留学とかもしたいなあって思ったりもしました。絶対しないけど。笑

それでも、語学ができるようになれば世界が広がるのは間違いないです。

ベトナムでは、それほど英語を使う機会がないのですが、英語力に関しても楽しく鍛えていきたいなと思いました!!

勉強じゃなくて、いろんな人と話すことで鍛えて行く。これが大事。海外だからこそできること。楽しく友達作りながらやっていこ!

世界を大局的に見たい人にはオススメの本

こんな感じの僕の今の考えですが、世界を主観的にだけ見るのではなくて、客観的にみて、物事を大局から捉えることはすごく大事だと思います。

世界の見方が変わってくるし、それだけで自分の世界も少し変わるかもしれません。

そんな手助けをするのがこの本。まあ割と有名なやつです。 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

『サピエンス全史』です。

ここまで、俯瞰的に世界の歴史を捉えてる本はなかなかないと思います。世界史を勉強してなかった自分にとっては少し難しかったですけど、すごく面白かった。

人間とはなんなのか、今の世界がどうやって形成されてきたのか、それを事実ベースで知りたい人にはオススメです。

まあ、正直なところ、今を生きる人は読んで損しない、必ず自分にとってプラスになる本だと思います。

なんていうんでしょう。自分の世界観をガラッと変えられるとか、考え方が変わる、とかそういうのは期待しないほうが良いかもしれません。

ただ、世界を知る、自分の考えをもつための貴重な材料になる本ですね。

多くの人に、読んでみてほしいなと思ったので紹介させてもらいました。

 

とまあ、今日はこんな感じで終わりです。

まだ、言いたいことあるけど、他にも今日のうちにやりたいことがあるので、今日はこの辺で終わっときます。また、少しずつこういう自分の思想的な部分も後から見たときのために残しとこうと思います。

明日はまた、色々と予定のある日曜日です。

楽しんでやっていきましょ!!

おやすみなさい。また明日!!!