日本人大学生がベトナムのIT企業で働く日々。

日本人大学生がベトナムのIT企業で働く日々。

奈良県出身、純日本人の大学生がベトナムのIT企業で働く日々を綴ります。基本的に平日は短文、暇な休日は長文。毎日更新!!

日本人大学生がベトナムで働く日々。

4月4日 ホームステイ最後の日。別れは惜しいけど、明日からの新生活が楽しみ!

今日はホームステイ最終日

今日はホームステイが最後の日です。

明日仕事が終わったら新しい家に引っ越すのです。

なので、今日は家族が僕の好きな料理を作ってくれて、最後にみんなで食事をしました。

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スパゲッティ。

そういえば、僕がベトナムに来てはじめてこの家で食べた料理はスパゲッティだったなと思い出しました。

そう思えばやっぱり感慨深いものがありますね。

なんとも言えない、美味しいってこともないスパゲッティですけど、心は満たされます。

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そして、ピザとパイナップル。

このピザは美味しいです。もっちりパリパリで具沢山で、最高。

これも、この家で何度も食べた料理。

もう、簡単には食べられなくなると思うと寂しいですね。

まあ、また時々ご飯を食べに帰ってきます。

ベトナムおかんが1番悲しそうにしてました。

思えば、初めて来てベトナムに緊張してた頃からこの家の人たちは優しく温かく接してくれました。

ベトナムの家族ってのが、どういうものか知れたし、僕が帰るの遅かったり、電気付けっ放しにしてたり、料理をいっぱい食べても怒りませんでした。注意書きの貼り紙は段々と増えていきましたけどね。笑

ただ、本当にこの家でホームステイできてよかったです。すごく気楽に生活できました。

だからこそ、一人暮らしに旅立つのです。成長の時です。

いつまでも甘えた生活をしてちゃあダメです。外国の土地でこれからは一人で頑張って生活してみます。

そうすれば、また新しい苦労や発見もいっぱいあるでしょう。

周りの人にはいっぱい助けてもらえるだろうけど、その力も存分に借りながら楽しくやっていきます!

ありがとう、ママ、リン、ビン!!

また遊びに来るね!!

親友との久しぶりの電話

大学の大親友にとくひろというやつがいます。

これ、しばらくただただ僕ととくひろの話をするので、興味ない人は次の見出しに飛んでください。笑

こいつとは、今でこそ親友と言えるけど大学生活の中で色々ありました。本当に色々。

ただ、間違いなくこいつは大学で1番の親友であり、1番何も隠さずかっこつけず、本音で本気で語り合える人間です。

彼との出会いは大学の入学式やったかな?

彼は喉を潰していた。多分風邪。なんかみんなが自己紹介してるときに、クソみたいな声でわけわからんこと言ってました。

それが後にとくひろと呼ばれる男です。

まあ、喋れるようになった彼はおもろいやつですぐに意気投合しました。

何がきっかけで仲良くなったのかは、あまり覚えてないけど、なんでやろうね。

とにかく、気づいたら家に泊まりに行って2人で遊ぶような仲になってました。

まあ、この頃はまだ仮初めですね。ノリが合うかな、くらいのもん。正直変な奴としか思ってなかったです。

でも、僕は先輩に誘われて東北のボランティアに行くことにしました。正直一人で参加するのはちょっと心細かったんですね。

だから、仲良くて暇そうなとくひろを誘ったんです。それで、彼も参加することになった。

思えば、これが大きな出来事だったんですね。

僕たちは、お互いボランティアに参加して、それぞれ得るものがありました。それで、そのあともそれぞれの思いを持って参加し続けました。

僕は、誰にでもすぐに打ち解けて、仲良くなって好かれてしまう彼の才能が正直羨ましかった。いいなあと思ってました。

僕は元来人見知りでそういうことができない性格だっただけに、彼のそういった才能は憧れでもありました。

そうして、時は流れて僕たちの世代が団体を運営するようになりました。

彼はリーダーに、僕は副リーダーになりました。それまで、周りからもどっちがリーダーになるかというような話はされていました。

僕がリーダーになればいい、という人もいれば、とくひろがリーダーになればいいという人もいた。

僕は正直リーダーをやってみたい気持ちもありました。でも、結果的に彼がリーダーになりました。

まあ、これは仕方ないんです。この引き継ぎの頃、僕は彼女にうつつを抜かして、あんまり団体のことを何もしてませんでした。

ボランティアで東北に行く日程より、彼女との旅行を優先させてたくらいです。笑笑

そういったこともあり、必然的に彼がリーダーになったわけです。

でも、いざ運営が始まると、僕と彼の間では衝突が始まりました。まず、お互いが東北に対する熱い想いはある。でも、方向性がずれてたり、やりたいことがずれてたりするんです。

その上、どっちも我が強い。

言い出したら譲らない二人。まさに朝青龍琴欧洲です。

それで、一回大喧嘩しました。

大学のコンビニの前で怒鳴りあって、押し合って…笑

それで、一度は決別します。僕は団体をやめるから、好きにやってくれと言いました。

まあ、周りの説得もあり、結局戻るのですが。

その後、仲直りもして、うまくリーダーと副リーダーで運営をやっていきました。これは周りの運営のメンバーの支えは大きかったですね。

しかし、団体の運営を始めてから、話す話題は楽しくない話題ばかり。リーダー業に苦しみ、ストレスを溜めるとくひろ。副リーダーだから、気楽に楽しくやってる僕。

結局は責任感の違いがあったわけです。

多分、彼からしたら僕は随分気楽に見えたことでしょう。東北の派遣中も彼は常に色んなことを考えて、気を配っていました。だから、内心ムカついてたんじゃないかな?

僕は、ただはしゃいで楽しんでました。

僕にはリーダーは絶対にできなかったです。彼だからこそ、この東北ボランティアという重く難しい団体のリーダーをできたのです。

そんな感じで、いつしか運営をする前のような気楽な関係ではなくなっていきました。

僕は悲しかった。

彼のことが僕は好きやったけど、彼に対する申し訳なさがあって、どうしようもなくて。

彼も何か思うものはあったと思うし。

まさにチャゲとアスカみたいな感じです。知らんけど。

とにかく、以前のような仲良しじゃなくなってたんですね。前みたいな気楽な関係に戻りたい。僕は、ひたすらそう思っていました。

隔たりを越えた先にあったもの

僕たちは本気でぶつかり、本気で同じものに向かって力を合わせて戦い、本気で気まずくなり、本気で離れていきました。

彼は僕と同じタイミングで1年間オーストラリアで働きに行きました。僕も彼と同じタイミングで、ベトナムに来たわけです。

一層、彼との距離は広がりました。

まあ、実は僕が休学したのは彼が1年間休学する話をして聞いたから影響されたのもあるんですよ。

それで、お互い団体の運営から解放されたわけです。

今まであったわだかまりがすーっと消えていきました。

たまに、メッセージとかもするようになって、どんどん前の気楽に楽しくやってた2人のように戻っていきました。

そして今日、彼と電話しました。

お互いの生活、想い、アホな話、恥ずかしい話、恋愛話、夢、他の人には恥ずかしくて言えないような話も全部できました。

思えば、誰かと本気で喧嘩したのなんて中学以来彼だけだと思います。本気でぶつかり合ったのも彼だけです。

僕たちには、隔たりが少しの間あったけど、だからこそ今こうして本気で分かり合えて、なんでも言い合える仲になったのだと思います。

もうすぐ、日本に帰ったら彼と再開します。

彼と会って話して、昔のようにバカやって、本気で語り合って、熱くなるのが楽しみで仕方ないです。

大親友とかそんな言葉の定義はわかんないけど、彼は間違いなく僕の大切な人の1人です。

一緒になにも裏の気持ちを隠さずに、本気になれる人間の1人です。

僕たちは、ついに修二と彰になったのです。

人と人の繋がりって不思議ですよね。本気でぶつかり合って、色んな隔たりを越えてこそ、強く強固なものになるんですね。

と、久しぶりに彼と電話して、思ったことをつらつらと書いてみました。

彼という仲間がいて、僕は幸せ者です。

ありがとう。

それじゃ、今日はこの辺で。

明日からは新生活です!楽しみ!

おやすみなさい〜