3月11日 東日本大震災に想いを馳せて。「1日だけ盛り上がるのはやめて。」今、率直に思うこと。
今日は3月11日
7年前の今日、日本中を悲しみで覆った大きな地震がありました。
どうでしょう。もうずいぶん昔のことに感じるでしょうか。それともちょっと前の出来事に感じますかね。
僕は震災当時は中学2年生でした。
その日は野球部の練習試合があって、夕方頃に家に帰ってきました。
それで、いつものようにテレビのニュースをつけて驚いた覚えがあります。なにか地震があったという話は野球部でもちらっと聞いていましたがこんなにひどいとは思ってなかったのです。
ニュースの画面で流れる津波の映像。爆発を起こした原子力発電所の状況。
初めは、これが同じ日本で起こっていることとはとても考えられませんでした。
どんどん、ひどくなっていくニュースの報道。
正直、何が起こっているのかもわからなかったし、ただただ悲しく恐ろしかったです。
でも、当時の僕は、関西でこんな地震が起こらなくてよかった、と思っていたのも事実だと思います。多分、同じ日本の出来事だけど、どこか遠い場所で起こっているような気持ちになっていたのだと思います。
4年半経って、初めて被災地へ
それからというもの、僕は震災のことはあまり知らないまま、高校、大学と成長して行きました。
この頃までは、僕にとって震災は自分ごとじゃなかったんですね。
ですが、ある時大学の先輩に東北のボランティアへ行かないかと誘われました。
その時にまず思ったことは、「え、まだボランティアやってるん?」でした。
もうほとんど復興してるんじゃないの、って思ってました。全然、被災地のことを知らなかったんですね。
そこで、僕は同じ日本にいるのに自分が東北の被災地のことを全然知らなかったことに、改めて気づかされてショックを受けたのです。しかも、同じ国にいるのにほとんど興味を持ってすらなかった自分を恥ずかしくも思いました。
なので、初めは「まず、東北の今、そして地震というものを知りたい。」という気持ちで東北へボランティアへ行ってみることにしたのです。
僕がボランティアへ行ったのは岩手県沿岸部の大槌町、釜石市、山田町の3市町村です。
その時に大槌町の高台の上から見た、街の風景がこれです。有名な大槌町旧役場も写っています。
この時に、僕は今まで感じたことがなかった感情に襲われました。
街があったところがなにもなくなってるんですよ。
何もないんです。とても恐ろしく、悲しい気持ちになったのを覚えています。
そして、これは同じ日本の国内で起こっていることなのです。他人事じゃないのです。
今、自分が当然のように自分の家があり、何不自由なく暮らしていることが、ありがたすぎることだと痛感しました。そして、その苦労を知らなかったことをやはり恥ずかしくも思いました。
それから、被災地の人と接していく中で、その場所や人、空気が好きになり、もっと力になりたいと思うようになり、その3市町村へ足を運び続けました。
大学生活の中で、10回ほど行きました。まだまだ行くつもりです。
これが被災地の今です(2017年9月なので、今はもっと違うと思います。)
2年前と比べても、街は大きく変わりました。人が住む場所に戻りつつあるのです。
だんだん行っているうちに、僕の思いは変わってきました。単純に被災したこの3市町村を支援したいという気持ちはもちろんですが、これ以上震災で悲しむ人をつくりたくないと思うようになってきたのです。
それは、やはり被災された方々と話している中で、いかに救えたはずの命があったかを痛感してきたからです。そして、その深い悲しみを。
この、悲しみは二度と繰り返してはいけない。そういう世界を作っていかないといけないのです。
僕たちは日本に生きている以上、地震から逃げることはできません。
これから先、東京でも南海トラフでも大きな地震はいずれ起こるでしょう。その時に、少しでも被害を減らしたいのです。少しでも悲しみが起こらないようにしたい。
地震で悲しむ人がいない世の中を作る。
それが、僕が心からやりたいことです。
震災から7年目の今日を迎えて
今日、朝からテレビをつけていると、震災特番が放送されていました。
午後になると、地上波はすべて震災特番で埋め尽くされていました。そして、地震の当時の状況をまた放送します。
Twitterでは、有名人が3.11に関するツイートをしてます。なんか、すっごい嫌な気分になりました。
もちろん、そうやって3月11日になって思い出してくれるのは嬉しい。でも、有名人たちのツイートはどれも、心がこもってないというかなんというか。パフォーマンスにしか感じなかったです。
そして、日本国民のほとんどは普段東北のことは忘れているでしょう。7年前、大きな津波が起こったことを普段忘れているでしょう。
日本国民の何人の人が、東北の今を知っていますか?
日本国民の何人の人が、東日本大震災からなにか学びましたか?
東日本大震災があって、僕たちの防災意識は変わりましたか?
また、同じ被害が起こらないといえますか?
東北では、今も仮説住宅で多くの住民さんが暮らしています。復興公営住宅に引っ越しても、住宅を再建しても、今までとの環境の違いに苦しんでいます。
震災は全然終わってないんです。震災は今もずっと続いているんです。
3月11日にだけ、盛り上がるのはやめてください。
震災は3月11日にだけ、起こったことじゃないんです。3月11日から毎日ずっと続いているんです。明日からもまだまだ続くんです。
だから、ずっと忘れないでください。東北を想い続けて欲しいです。
これから、僕たちにできること
今も、東北に行って支援を続けている人が多くいます。
これは、僕が愛する団体のブログです。彼らは今も、毎日のようにどうすれば東北の力になれるのか、自分たちにできることはなんなのか悩み続けています。
そして、今も必死に活動し続けています。
少しでも、気になった人は彼らの活動もチェックしてみてください。今の東北が見えてくると思います。
いろんな形の支援があると思います。
東北に行くことだけが支援じゃないです。行かなくてもできることはたくさんあります。
そして彼らのような団体は、活動を続けなくても、お金がないから活動の継続が難しい状況になってきています。自分たちがいけないのなら、彼らに思いを託して、お金をカンパしてもいいと思うんです。それも立派な支援です。
そして、僕たちは次にも進まなければなりません。
震災のことをもっと勉強しましょう。7年前なにがあったのか。なぜ、奇跡的に助かった人はいたのか。なぜ、助かるはずだったのに亡くなってしまった人がいたのか。
そういったことを勉強するのは本当にしんどいと思います。
僕は、実際に経験した住民さんたちの口から何度も聞かせてもらってきました。
何回も泣きました。
それだけ、この話は悲しく辛いことが多いです。
でも、それから逃げてちゃダメです。向き合って行かないとダメなんです。
そして、それをちゃんと教訓にして行きましょう。
自分の命は自分で守るのです。あなたの大切な人の命はあなたが守るのです。
みんなが、地震が起こった時の最適な行動をわかっていれば被害は最小限に済みます。逆に知らない人がいれば、周りも巻き込まれて被害が増えます。
悲しみが増えるのです。
地震で悲しみが生まれない世界を作りましょう。
そのためには、あなたが勉強しないといけないのです。もっと震災について、知らないといけないのです。
東日本大震災を思い出して、盛り上がるのを今日だけにしないでください。
これからも、ずっと心の側に置いていてください。そして、行動に移してください。
あなたのその小さな行動から世界は変わっていきます。
それが、僕の切な願いです。
少しでも多くの人にこの想いが届けば嬉しいです。
長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
では、また明日!!