日本人大学生がベトナムのIT企業で働く日々。

日本人大学生がベトナムのIT企業で働く日々。

奈良県出身、純日本人の大学生がベトナムのIT企業で働く日々を綴ります。基本的に平日は短文、暇な休日は長文。毎日更新!!

日本人大学生がベトナムで働く日々。

12月19日 ベトナムから東北に思いを馳せて。愛すべき場所よ、人よ。

今日は僕の愛する東北のことを書きたくなったので書くことにします。

前半は今日の話をしますね。

ベトナム人の打ち合わせは喧嘩してるみたい

ベトナム人と最近打ち合わせをする機会が増えてきたんですが、ベトナム人同士の議論がまるで喧嘩しているようなんですね。

すごい剣幕で、ものすごい勢いで話しまくるんですね。

まあ、多分怒ってるわけではないんですけどね。

ベトナム人ってベトナム語を話すとき、基本的にめっちゃ怒ってるように聞こえるので笑

日本人からしたら、なんでそんなイライラ話してるの?って思うかもしれないですが、それが普通なんで気にしないであげてくださいね。

でも、日本語話すときはみんな柔和な感じになるから不思議なんですよね笑

だから、ベトナム人の国民性というよりも、ベトナム語の発音とかの特性なのかもしれないですね。

もう慣れたんですけど、はじめはびびりましたね。慣れるまでは変な気分だと思いますが、気分を悪くせずに、そういうもんだと思ってくださいね。

サッカーからの帰りの出来事

今日はいつも通り、火曜日恒例のサッカーをやりました。

今日はちょっと調子が悪かったですね。言い訳としては、筋肉痛です。

でも、朝起きて筋肉痛があったら安心してるような頭おかしいやつなので、筋肉痛はやめれないです。(昨日のトレーニングがちゃんと効いてることにホッとする)

そして、サッカーを終わって帰ろうというとき。

いつも僕をバイクで家まで送ってくれる人が数人いるんですね。僕のドライバーさん。

彼らが今日、「俺がたいきを送る」、「いや俺が送るよ」、「じゃあ、俺が・・」、「「どうぞどうぞ」」みたいなことをやってました。

ベトナム語がわからなくて、自分の名前だけわかるので会話を想像してます)

まるで、ダチョウ倶楽部ですね。僕は熱湯か、と。

まあ、そんくらい彼らはめっちゃ優しいです。

体が3つあったら、みんなに送ってもらいたいくらいです。

本当にいい人たちです。大好きです。やっぱり、いい会社で働いてるなあってしみじみと思いますね。

僕と東北

僕は関西出身なのに、なぜ東北とか言ってるのか、不思議に思うかもしれませんね。

実は僕は、大学一年生から三年生の休学直前まで、東北にボランティアへ行き続けてました。計10回くらいかな。

はじめは、ちょっとしたきっかけでした。たまたま、先輩に誘われて、暇だったし興味本位で行ってみました。

1回目は、このボランティアへ行くメンバーのおもしろさと、活動の楽しさで一気に引き込まれました。そのおかげで、2回目、3回目と何回も行き始めました。

ちなみに、このボランティアのメンバーの先輩には僕が心から尊敬する人物が2人います。この人たちは全くタイプが違うのですが、それぞれ僕にない素晴らしいものを持っていて、本当に憧れます。

あまり、先輩とか好きにならないし、もちろん尊敬なんてしないタイプなんですが、この人たちだけは僕がはじめて心から尊敬できる先輩たちでした。

この一年間で、この人たちを追い越せるように頑張ります。

すいません、脱線。話を戻します。

そして、何回か行くうちに、なぜかその場所や人々が好きになっていきました。そして、いつの間にか、その場所へ行くと落ち着くようになっていたんですね。

東北が、僕の第二の故郷になってしまっていたわけです。

震災から5年、6年経ち、東北は被災地として忘れ去られていき、もう支援は必要ないだろうと思っている方も多いかもしれません。

しかし、まだまだ多くの住民が仮設住宅で生活していることを知っていますか?

震災から6年経った今も、多くの住民が苦しみ悩んでいるのです。

 

まだまだ、助けを必要としている人は多くいるのです。

僕はそんな人たちのちょっとしたきっかけになりたいと思って東北へ行き続けています。

僕たちが東北へ行くことで、ちょっと人生が前向きになる、沈んでいた気持ちがちょっと明るくなる、また頑張ろうかなって思える、楽しくて笑って元気が出る、そんなちょっとしたことでいいんです。でも、そんなちょっとしたことが、人間にとっては大きな力になっていくと思っています。

それは、僕がこの土地や人にもらったきっかけの恩返しかもしれません。

僕はこの土地に来て、震災を知り、人々と接して、愛を知り、人生が変わり、心が豊かになりました。

この土地には、僕の想いがつまっています。その空気、匂い、全てが愛おしいです。

会いたい人も、数えきれないほどいます。この土地には、奈良出身神戸大学の僕と、東北の山奥の沿岸部の人たちという普通では交わるはずのなかった不思議で素敵な縁が溢れています。

そして、これからもこの場所に行き続けることに意味があると思っています。

被災地を忘れないこと、忘れさせないこと。

そして、次の被災地を作らないこと。これが僕の使命です。

愛と幸せがなんなのか、教えてもらい、与えてもらったこの土地が僕は大好きです。

日本に帰ったら真っ先に行きたい場所、いや行く場所です。

みなさんも、そんな東北にぜひ一度足を運んでみてください。

そして、被災地に今一度思いを馳せてみてください。今、被災地はどうなってるのかな、なにかまだできることないのかな、そう思ったら調べてみてください。

僕の団体のブログがこちらです。

ameblo.jp

気になった人はチェックしてもらえると嬉しいです。

後輩からの嬉しい便り

なぜ、僕がいきなりこんな話をしたのかというと、後輩から連絡があったからです。

僕たちは年に4回神戸から東北へボランティアへ行ってるのですが、今まで僕はずっと行き続けていました。

そして、一緒に東北へ行った後輩もたくさんいます。

僕は、一年間東北へ行けないぶん、彼らに意志を継いできました。一年間、団体の運営や活動を任せてるんですね。

本当はそばにいて支えたかったんですが、僕がベトナムへ高飛びしちゃったので、近くで支えることもできずに、責任を丸投げして来てしまった形になっていたんですね。

震災から7年が経とうとしていて、被災地の状況はどんどん複雑になっていっています。

そのせいもあり、後輩たちは悩み、苦しみ、もがいていました。

それでも、僕は近くにいないからなにもできずに、ただ遠くからたまに連絡して様子を見守ることしかできませんでした。

そんな彼らが、団体の運営をすることで、苦しみ、もう東北へ行きたくない、しんどいというようなことを言っていたこともありました。

僕は、東北が好きなので、後輩や周りの人にもそんな東北を好きであり続け、行き続けて欲しかった。

だから、運営という重荷のせいで、行きたくないと思ってしまったり、行かなくなるとすればとても辛い。だから、そう言った言葉を聞くのがとても辛かった。そして、そこで何もできないのがもっときつかった。

でも、彼らはそうやって苦しみながらも、複雑な状況になる被災地に合わせて様々な挑戦をしてくれました。

東北へ行っている間も、活動の重荷で苦しんでいたこともあったようです。

しかし、活動が終わって、彼らから連絡がきたんですね。

「派遣行く前も、派遣中もしんどいことが多くあって、何度も嫌になってやめたくなったけど、やっぱりこの場所に来て、活動したら、この場所が大好きです。次に東北へ行くのがもう楽しみで仕方ありません。東北のためにできることを全力で探して楽しんで挑戦して行きます。だから、安心して任せてください。」

こんな感じのことを言ってくれました。

嬉しさと安心と、なんともいえない高揚感に襲われました。

あぁ、幸せだなと。

彼らと一緒に東北へ行って、彼らに任せて、彼らが後輩で本当によかった。

はやく、彼らに会いたいなと思いますね。一年後にはまたびっくりするくらい成長してるんだろうな。そんなおっきくなった彼らの姿をみるのも楽しみです。

そして、自分も後輩たちには負けてられないですね。僕ももっと一生懸命、日々を生きていかないとあかんなと思います。後輩にさらに背中を押されちゃいました。

そういった言葉や、今回の活動の様子をみていると、自分もはやく東北へ行きたいと、強く思ったわけです。

今の僕の原点であり、全てが詰まっている場所です。

あぁ、東北。愛すべき場所よ、人よ。

僕はベトナムで楽しく元気にやってます!一年後会ったときに、びっくりするようなビッグな男になって帰ります!(心も筋肉も)

そのためにも、今という一瞬を大事にして全力で突き進んでいきます。

ありがとう東北。ありがとう後輩たち。

 

今日はこんなところで、終わります。

早く寝るつもりだったんですが、書きたいことを書いてたら遅くなりました。

もう寝ます。

おやすみなさい。また明日。